拓本●昭和期 寒山拾得図 羅聘書 郡石師作 240529 古文書石碑 [3467331]

拓本●昭和期 寒山拾得図 羅聘書 郡石師作 240529 古文書石碑 [3467331]

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中国、唐代の禅僧。従来は唐代初期の人とされていたが、最近の研究では、二人とも実在の人物であるとして考えた場合、8世紀ごろ(盛唐から中唐の時期)に生きていたのであろうとされている。雲水の豊干(ぶかん)(生没年不詳)と三人で天台山(浙江(せっこう)省)国清寺(こくせいじ)に出入りし、ぼろをまとい、台所に入り込んでは僧たちの残飯を食していたという。三人をあわせて三隠、三聖と称する。この三人のことを記すのは、閭丘胤(りょきゅういん)の『三隠詩集』序であるが、閭丘胤は架空の人物であって、実際はだれなのか不明。閭丘胤に語ったという豊干の言によれば、寒山は文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の化身、そして拾得は普賢(ふげん)菩薩の化身であったという。森鴎外(もりおうがい)の小説『寒山拾得』は、この閭丘胤の序文をもとに記されたものである。 三人の詩は、『三隠詩集』(寒山子詩集)に集められているが、寒山の詩というのがもっとも多くを占める(314首)。寒山の詩は、民衆を対象にした教訓的なものや禅の偈(げ)に似たものなどが多いが、なかには寒山にまつわる伝説をうたうものもあり、寒山伝説に関連して、禅僧や民衆の間でうたわれたものが、「寒山詩」としてまとめられたものであろう。作品はすべて五言古詩である。 寒山・拾得は、宋(そう)代、禅の流行とともに愛好され、しばしば禅画の画題とされた。現存する寒山・拾得の図では、顔輝(がんき)(東京国立博物館)、可翁(かおう)(相国寺竜光院)、周文(東京国立博物館)、明兆(みんちょう)(東福寺)、海北友松(かいほうゆうしょう)(妙心寺)の作などが知られている。[鈴木修次 2017年1月19日]出典:コトバンク
《寒山、拾得二聖降》詩曰:「呵,呵,呵!我若歡顔少煩惱,世間煩惱變歡顔。爲人煩惱終無濟,大道還生歡喜間。國能歡喜君臣合,歡喜庭中父子聯。手足多歡荊樹茂,夫妻能喜琴瑟賢。主賓何在堪無喜,上下情歡分愈嚴,呵,呵,呵!」考寒山、拾得爲普賢、文殊化身,今稱和聖合聖,爲寒山、拾得變相也。花之寺僧羅聘書記。出典:レファレンス協同データベース羅聘とは、中国、清(しん)代中期の画家。字(あざな)は遯夫(とんふ)、号は両峯(りょうほう)。揚州(ようしゅう)(江蘇(こうそ)省)の人。「揚州八怪」中の最年少者。夢で前世において「花之寺」の主座であったことを知り、「花之寺僧」と号した。金冬心(きんとうしん)の弟子で、金冬心没後その遺集を出版した。羅聘は白昼に魑魅魍魎(ちみもうりょう)を見たといい、一連の「鬼趣図」を描いた。それは乾隆(けんりゅう)の文人たちに愛好され、ほかに道釈、人物、山水、花卉(かき)などもよくした。画(え)には均質な線による白描画的なものから、滲(にじ)みを主とした水墨画風のものまで幅広い技術が駆使されている。代表作『姜白石(きょうはくせき)詩意画冊』(ワシントン、フリーア美術館)は羅聘42歳の作である。このうち「漢川野火図」は冬枯れの原野に燃え盛る野火を描くが、そこに飛び出した真っ黒な兎(うさぎ)との対比がきわめて鮮やかであり、その筆遣いとともに、近代への予感を感じさせるものである。[近藤秀実]出典:コトバンク
多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てればそして、故郷に帰る事ができれば大変嬉しいです。サイズは 72×135㎝です。写真にあるスケールは全長17㎝です。状態は経年によるシミヤケと破れがあります。発送は追跡可能なクリックポストを予定しています。

拓本●昭和期 寒山拾得図 羅聘書 郡石師作 240529 古文書石碑



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